
頻繁に、現代の青少年における生活体験・社会体験・自然体験の貧困の問題性を指摘しています。これらのことから、今後の教育全体において環境教育は極めて重要なものと認識されている、と言うことができます。
では学校教育としての環境教育はどう捉えられているのでしょうか。第2部「学校・家庭・地域社会の役割と連携の在り方」のうち、学校での「教育内容の厳選の視点」では、授業時数縮減の例の一つとして次の項目が挙げられています。
環境や人の成長・健康に関する内容をはじめとして各教科間で重複する内容は、総合的な学習等を行うまとまった時間を設定することや各教科間の関連的な指導を一層進めることなどを考慮し、精選を図る。
また「横断的・総合的な学習の推進」において、環境教育は国際理解教育や情報教育とともに、これらは「いずれの教科等にもかかわる内容をもった教育」であるから、「横断的・総合的な指導」を推進すること、そのため「総合的な学習の時間」を設定することを提言しています。さらにこの時間における学習活動として、国際理解、情報、環境のほかに「ボランティア、自然体験など」を挙げています。これらから推測すると、環境教育については、次期学習指導要領下の各教科等では深入りせず、「総合的な学習の時間」の大きな柱を形造るように思われます。例えば、自然体験と環境教育とを結び付けて小学校から高等学校までを貫く柱です。しかしながら、各教科が1970年代の「教育の現代化」の時代に戻って個別科学の中に閉じこもり、「総合的な学習の時間」と分離してしまっては意味がありません。環境教育は学校教育全体を通じて行われるべきであり、その核になり統合する場が「総合的な学習の時間」における環境教育でなければなりません。この点は道徳教育と道徳の時間との関係に似ていると言うことができます。総合的な学習は、最近話題の「クロスカリキュラム」3)と密接する問題で、本書でもクロスカリキュラムを目指した実践事例が報告されています。
このように「総合的な学習の時間」を設けそこに環境教育を位置付けることには、長所があります。それは環境ないし環境問題は、学際性や総合性をその本質としているため、既存の個別的な諸教科だけではどうしても十分に扱うことはできないからです4)。しかも環境教育では、個別的な学問・文化を基盤とする諸教科において環境とのかかわりを学ぶだけでなく、さらに現実の生活・社会を見据えて、一人ひとりが自らの生き方を考えるところまで期待されているのです。
2 環境教育と国際理解教育と人権教育
環境問題は、人口問題、食料問題、エネルギー問題、あるいは南北問題など、今日の人類が解決を迫られている大問題と密接不可分で重なり合っています5)。また既に見たように中教審が提案する「総合的な学習の時間」における学習活動としては、環境のほか、国際理解、情報、あるいはボランティアや自然体験などが例示されていました。ここでは主に国際理解教育と人権教育とを取り上げて、環境教育と密接な関係にあることを確認しておきましょう。これらはいずれも総合的な学習の核を成すものとして、最近脚光を浴びているからです6)。
国際理解教育と言うと直ぐに英会話をはじめとする英語教育が話題になります。しかしそれは国際理解にとって重要ですが一部に過ぎません。例えば魚住は、国際化は「地球社会」についての現実認識と課題という観点から再考されるべきであるとして、その観点の一つに次の点を挙げています。
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